The Adventures of Hero Klaus

英雄クラウス物語 下巻

ブレノリア大陸に伝わるおとぎ話。英雄クラウスの栄光が失われ、帝国とともに消えるまでを描く。

本文

英雄クラウスの名が、帝国の隅々にまで知れ渡るようになった頃。

その武勲は、ついに皇帝の耳にも届いた。

数え切れぬ戦場で勝利を収め、敵国の民さえ救った英雄を一目見ようと、皇帝はクラウスを帝都へ召し出した。

血と泥にまみれた戦場しか知らなかったクラウスは、その日初めて、宮殿へ足を踏み入れた。

磨き抜かれた大理石の床。

金糸の刺繍が施された旗。

幾人もの貴族や将官が見守る中、クラウスは玉座の前へ進み、片膝をついた。

皇帝は彼の功績を称え、帝国最高の栄誉を授けた。

だが、この日クラウスの運命を変えたのは、勲章でも皇帝からの言葉でもなかった。

その夜に催された戦勝祝賀の席で、彼は一人の女性と出会うことになる。

皇帝の一人娘で、幼くして母である皇妃を失い、広大な宮殿の中で育った姫君である。

美しい娘だった。

だが、彼女の美しさを褒める者は多くとも、その孤独を知る者はいなかった。

貴族たちは皇女という地位を見て跪き、侍女たちは命令を待ち、求婚者たちは帝位へ至る道として彼女を見た。

ただ一人、クラウスだけが違った。

二人が初めて言葉を交わしたのは、戦勝祝賀の夜だった。

華やかな大広間を抜け出し、姫は人気のない回廊で夜空を見上げていた。

クラウスは彼女が皇女だと知りながら、跪かなかった。

ただ、自分の外套を彼女の肩へ掛けた。

「冷えます」

姫は驚いたように彼を見た。

それが、始まりだった。

クラウスは戦場の話を美しく飾らなかった。

姫も宮廷の煌びやかさを幸福だとは偽らなかった。

二人は互いの傷に触れず、けれど、その存在を見ないふりもしなかった。

やがて姫は、英雄ではないクラウスを愛した。

クラウスもまた、皇女ではない彼女を愛した。

彼女はクラウスに夢を語った。

「いつか二人で、あなたの育った場所に行きたい」

男子のいなかった皇帝は二人の婚姻を認め、いずれクラウスへ帝位を継がせる意向を示した。

クラウスの人生は、順風満帆に見えた。

英雄が皇帝となれば、戦のない時代が訪れる。

そう信じ、国中は歓喜に包まれた。

だが、その未来を恐れる者たちがいた。

長きにわたり宮廷の権力を握ってきた、宰相と大臣たちである。

平民出身のクラウスが帝位に就けば、旧来の特権は失われる。

軍の不正も、税の横流しも、賄賂によって築いた地位も、すべて暴かれる。

彼らは表向きには婚姻を祝福しながら、裏ではクラウスを陥れる策を巡らせた。

街の娼館から、身重の女が連れ出された。

多額の金と家族の安全を約束され、彼女は皇帝の前で涙を流した。

「この子の父親は、クラウス様です」

偽造された手紙。

買収された証人。

巧妙に揃えられた日付。

怒りと悲嘆に呑まれた皇帝は、真実を確かめようとはしなかった。

最愛の娘を弄んだ男として、クラウスからすべてを奪った。

軍団長の地位。

英雄の称号。

領地と財産。

そして、愛する姫との未来。

クラウスは弁明した。

証人との対面を求め、調査を願い出た。

しかし、彼の言葉は玉座まで届かなかった。

城門は閉ざされ、兵たちはかつての指揮官へ槍を向けた。

姫もまた、塔の一室へ幽閉された。

彼女は何度も父へ訴えた。

あの人は、そのようなことをしない。

「私は彼を信じています! どうか一度だけ、会わせてください!」

だが、その願いは届かなかった。

窓の外で季節が変わり、クラウスの消息を知らされぬまま、姫は食事を取らなくなった。

侍女が差し出す水にも口をつけず、ただ彼から贈られた古い外套を抱きしめていた。

それは初めて二人が出会った夜、彼が彼女の肩へ掛けたものだった。

ある朝、侍女が部屋を訪れると、姫は寝台の上で静かに息を引き取っていた。

その胸には、クラウスの古い外套が抱かれていた。

姫の死を知った夜、クラウスは叫びもせず、ただ長い間、椅子に腰掛けたまま動かなかった。

再び愛する者を奪われたクラウスは立ち上がり、かつて滅びた古代文明の遺跡から発見した、封印された書を開いた。

そこに記されていたのは、あまりの危険性ゆえに、歴史と魔導書からその名さえ抹消された魔法。

――禁呪。

彼は長い戦いの中で、その存在を知っていた。

だが、一度として使おうとはしなかった。

その力が、人を守るためのものではないと理解していたからである。

数日後の夜、帝都の空から星が消えた。

雲ひとつないはずの空が黒く沈み、城壁の魔導灯が一斉に消えた。

大地の底から、獣の咆哮にも似た震動が響いた。

騎士団は城門を閉ざし、帝国軍は武器を取った。

民衆は恐れおののき、家の中に閉じこもった。

空間そのものが軋み、宮殿を囲む大気が硝子のようにひび割れた。

宰相が悲鳴を上げた。

大臣たちは許しを乞うた。

皇帝は玉座から立ち上がり、ようやく自らの過ちに気づいた。

だが、すべてが遅かった。

白い閃光が帝都を呑み込んだ。

石造りの城壁が砂となり、鋼鉄の鎧が赤熱し、宮殿も、軍旗も、玉座も、夜の中へ溶けていった。

一夜にして、エルネスト帝国は滅びた。

翌朝。

かつて帝都があった場所には、黒く焼けた大地だけが広がっていた。

その中心に立つ者の姿はなかった。

帝国の外にいた人々は、消えた英雄について噂した。

絶望のあまり、自ら命を絶ったのだと。

だが、クラウスは生きていた。

しかし、禁呪は彼の身体にも深い爪痕を残していた。鮮やかだった黒髪は一夜にして白く変わり、顔からは血の気が失せ、死人のような蒼白さを帯びていた。

かつて人々が英雄と称えた男の面影は、もはやほとんど残されていなかった。

クラウスは名を捨て、かつての仲間たちの前から姿を消した。

そして、生まれ故郷エンゴーサのある、ラーカスト湖の畔へと向かった。

――終

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